2010年 02月 16日
「五穀神社」(福岡県) |
福岡県久留米市に鎮座
旧社格等 不明(調査中)
<御祭神>
豊宇気比売神
相殿 稲次因幡正誠公
境内神社 2社
ご朱印
カメラ忘れのため社殿などの画像はありません ペコリ
創建、寛延2年5月23日(1749年)
普段は祭事以外 無人のようです
櫛原天満宮社務所が管理しているようです
ご朱印は櫛原天満宮で頂きました
稲次因幡正誠公を合祀しているようですが どんな人物なのかは知りません
以下・由緒から引用
享保13年(1728)8月、生葉、竹野、山本の三郡の農民は、藩の重税に耐えられず、減税運動の一気を起こしました。総勢5,700余名が武器を持って善導寺に集まり、御井町まで押し寄せました。
27才の若い家老の稲次因幡正誠は、一揆を起こした首謀者とひとりで会いに行き、「農民の要求に応じる、以前の税は1割1歩減税、首謀者の処刑はしない」という約束をして農民の苦しみを救いました。
農民は喜びましたが、家老仲間の不満、藩の殿様の怒りが後年藩主お世継ぎ問題とからんで、享保19年(1734)、御原郡津古村(小郡市)の庄屋斉田氏宅に幽閉させられました。三千石の家老職を失い、享保21年(1736)悲運のうちに亡くなりました。34才でした。
罪ある身であったため、城下町に帰ることなく、小郡市の霊鷲寺(りょうじゅうじ)に葬られました。
そして彼の死後12年目、寛延2年(1749)、稲次因幡正誠公の人徳をなつかしく思い慕う農民が、五穀神社ご創建にあたり、農業の神様としてお祀りました。
御祭神は食物・穀物を司る女神だし
稲次公の農民に対する慈悲といい
農民の五穀豊穣を祈る想いが伝わるような気持ちになりました
by kami1965
| 2010-02-16 15:58
| 筑後国 福岡 神社